カテゴリー別 '御真言'

29th 5月 2008

おん・さまや・さたばん 普 賢 菩 薩 (ふげんぼさつ)

若三千大千國土【にゃくさんぜんだいせんこくど】 満中怨賊【まんちゅうおんぞく】

有一商主【ういちしょうしゅ】 将諸商人【しょうしょしょうにん】

齎持重寶【さいじじゅほう】 経過險路【きょうかけんろ】

其中一人【ごちゅういちにん】 作是唱言【さぜしょうごん】

諸善男子【しょぜんなんし】 勿得恐怖【もっとっくふ】

汝等應當【にょとうおうとう】 一心稱觀【いっしんしょうかん】

世音菩薩名號【ぜおんぼさつみょうごう】 是菩薩【ぜぼさつ】

能以無畏【のういむい】 施於衆生【せおしゅじょう】

汝等若稱名者【にょとうにゃくしょうみょうしゃ】 於此怨賊【おしおんぞく】

當得解脱【とうとくげだつ】 衆商人聞【しゅうしょうにんもん】

倶発聲言【くほっしょうごん】 南無観世音菩薩【なむかんぜおんぼさつ】

稱其名故【しょうごみょうこ】 即得解脱【そくとくげだつ】

無盡意【むじんに】 觀世音菩薩【かんぜおんぼさつ】

威神之力【いじんしりき】 巍巍如是【ぎぎにょぜ】

もっと皆さんに分かりやすい言葉で言うならば

若し三千大千国土の中に怨賊が満ちているときに、一人の商人が有って諸の商人を将い、重宝を齎持して險路を経過せばその中に一人でもこの唱言を作さん『諸の善男子よ、恐怖を得ることが勿いのである。汝等は、応当に一心に観世音菩薩の名号を称えるがよい。是の菩薩は能く無畏を以って衆生に施される。汝等が若しみ名を称えるならば、この恐怖の中に於していても当に解脱を得ることができるのだ。』衆の商人がこのことを聞けば、倶に声を発げて『南無観世音菩薩』と言うだろう。其の名を称えるが故に、即ち解脱を得る事が出来るのだ。無尽意よ、観世音菩薩摩訶薩の威神の力の巍巍たることは、是の如しだ。

と、なります。

更に普段使う言葉に置き換えてみますと

確かに、三千世界の中には怨賊が満ちています。その証拠に、時々現金輸送車が襲われて数億円を奪うというニュースが報道されます。また、宝石店や遊技場などに怨賊が押し入って宝石や多額の現金を奪っていく事件も頻繁に起こってます。ましてや金持ちの商社マンが、金・銀・宝石や何千億もの現金を車や船に積込んで、人跡まれな山路や砂漠や海上を旅する時、その心細さはたとえようもないことでしょう。
恐ろしいとか、怖いという恐怖感や、心細いという不安感は、大人ばかりか赤ちゃんでさえも持っている人間の本能です。また、目に見えないものへの恐れは「畏れ」という字を使います。目に見えない相手からは何をされるか分からないので、余計に畏ろしいともいえるでしょう。
昭和六十年八月、五二四人の乗客を乗せた日航機が御巣鷹山に墜落しました。あの日航機に乗っていた乗客の、墜落するまでの畏ろしさは、想像するに余ります。恐怖のあまり、一夜にして頭髪が真白になったという話を聞いたことがありますが、乗客の中には、一瞬にして白髪になった方もおられるでしょう。
こうして機内がパニックになっている時一人でも、ひそかに観音様を信じ念じて、一心に真言を称名して欲しかったです。その言葉を聞きつけた他の乗客も、共に声を合わせて「南無觀世音菩薩、おん・あろりきゃ・そわか」と一心に称名していたら…。その声を聞かれた観音様の不思議なお力で、機は御巣鷹山の頂上すれすれに飛越えて、そのまま滑空を続け、東京湾の海面に滑る様に不時着する姿があったのではないかと思います。
けれども、残念ながら、どなたも観音様の御縁がなかったのでしょうか?奇跡はついに起こりませんでした。
私事ですが、御本尊と縁が有った私は、この日航機出発三十分前にキャンセルして別の全日空に乗換えた一人です。観音様のことを別名「施無畏者(畏れ無きを施す者)」ともいいます。
ところで「怨賊」という言葉が出てきましたが、人が息絶える時、怨みをもったまま、その怨みをこの世に残して死ねば、鬼になります。ましてや他人が持っている財宝や美女や愛情に嫉妬し憎悪したあげく、怨みに怨んで死んだ人は、夜叉や羅刹のような鬼になります。それを「鬼籍に入る」というのです。だから怨賊となってこの世の悪人にとりついて、金銀財宝を運んでいる人を襲わせたりするのです。
人が臨終する時は、怨みの種になるような宝石やお金は遠ざけ、普段から仲の悪い人は、病人の部屋に入れないようにしなければなりません。それでも、もし怨みを持ったまま死んだ人は、特別に供養をしてあげなければなりません。自分の無畏の心を願うばかではなく、怨賊の心を持った人の為にも、「おん・あろりきゃ・そわか」と、一心に御真言を唱えてあげましょう。
今まで世尊が例を挙げてお話されたような七難に私達が遭遇した時は、ためらうことなく「南無觀世音菩薩」のみ名を一心に称名しその御真言を唱えましょう。

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29th 5月 2008

おん・かかか・びさんまえい・そわか|地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

若多愚痴【にゃくたぐち】 常念恭敬【じょうねんくぎょう】

觀世音菩薩【かんぜおんぼさつ】 便得離癡【べんとくりち】

無盡意【むじんに】 観世音菩薩【かんぜおんぼさつ】

有如是等【うにょぜとう】 大威神力【だいいぜんりき】

多所饒益【たしょにょうやく】 是故衆生【ぜこしゅじょう】

常應心念【じょうおうしんねん】

もっと皆さんに分かりやすい言葉で言うならば

若し愚痴の心が多くても、常に観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)を念じて恭敬刷(くぎょうす)るならば、便(すなわ)ち癡(ち)を離れることが得られる。無盡意(むじんに)よ、観世音菩薩はかくの如(ごと)き等(とう)の大威神力(だいいじんりき)が有るので饒益(にょうやく)する所が多いのである。この故に衆生(しゅじょう)は常に心に念じているべきである。

と、なります。

更に普段使う言葉に置き換えてみますと

過ぎ去ってしまった時間のことを、過去と言います。そのようなことは誰でも知っているのに、どうにも取り返しがつかない過去のことにいつまでもこだわって「・・・たらなぁ!」「・・・たのに!」と嘆くのは、どうでしょう。これを「愚癡」といって三つ目の心の 毒です。「愚」は、猿の仲間で一番頭の働きが鋭いものという意味の字です。などと解説するのも愚かなことかも知れません。「癡」は「痴」とも書きます。「痴」は「知」が病気になっているのです。病気になった知恵が「・・・ればなぁ ・・・たらなぁ!」と操りごとを言わせているのです。また「痴」は、病的なほどに人を疑うことです。それを「疑心暗鬼」といって、あまり疑い過ぎると心の暗闇に鬼が見えてきます。「死んだ子供の年を数える」ということを言います。そして、あの子が死んだのは、きっと学校でいじめられていたからだわ。周囲にあんな悪い友達がいたからなのよ。学校の教育が悪かったんだわ。こんな事になるんだったら、あんな学校へ行かせなければよかったのに・・。と愚痴るのです。愚痴はやがて恨みに変わりそれが憎悪になり、これが三毒といわれる所以です。
三毒は〈貧・瞋・癡〉という言葉で表します。貧は、性欲ばかりではなく、食欲、睡眠欲、財欲、名誉欲も、五欲というこの世の欲望を「自分だけが満足したい」という気持ちで貧るから、一番の毒と言ったのです。そこから瞋恚の心が起こり、愚癡となるのです。
人間には、百八つの煩悩がありますが、それを集約すると結局は、この三毒に落ち着きます。この、三つの三毒が一つでも心にまわった時は、速やかに観音真言(おんあろりきゃそわか)を、一心不乱にお唱えください。観音様は、偉大な神通力をもっておられるのでその声にこたえて、貧りの毒を消し、瞋恚の毒を消し、愚癡の毒を消して、たくさんの曉益(曉益の曉は「豊か」、益「ご利益」)を与えていただけることは間違えありません。

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